自治会館のご利用について

自治会館予約状況
市野谷自治会館2024年5月予約状況です。(5月12日現在)
市野谷自治会館2024年6月予約状況です。(5月12日現在)
市野谷自治会館2024年7月予約状況です。(5月12日現在)

自治会館の概要

・延べ床面積288.60㎡ 木造2階建て(平屋風、2階に収納スペース有)

・ホールA(定員46人)、ホールB(定員44人)間仕切りのパーテーションにて仕切ったり、ABを開放することも可能

・会議室1(定員12人)、会議室2(定員8人)

・調理室(コンロ4台、冷蔵庫1台)

・設備機器(ホールA側にプロジェクター(固定式)、スクリーン、カラオケ、マイク3台)

・全室バリアフリー仕様で、多目的トイレもあります。

・各種会議、ミニ上映会、軽運動等、活用いただけます。

・卓球台2台(ラケット、ボール含む)

・防災備蓄倉庫(2.7m×5.4m)防災資機材等を備蓄しています。


自治会館の使用について

・自治会館の使用は、使用規則に基づき、市野谷自治会ホームページの各種手続書類にあります「自治会館使用申込書(様式1)」をダウンロードいただき、必要事項を記入し、自治会のメールアドレスinfo@ichinoya-jichikai.comFAX「04-7199-8248」に送付ください。


・会館の外壁にも申込書(様式1)が置いてあります。


・会館の予約状況は、自治会のホームページか会館の掲示板に記載されています。(日々更新はされていませんので、必要の際は、info@ichinoya-jichikai.com等にてご確認ください。


・会館の「鍵」の引き渡しや返却、使用料金の支払い方法については、別途、申込者又は使用責任者に連絡をいたします。


※会館の申し込みは、使用日の2か月前の1日から受け付けています。
その際、先着順となりますが、場合によっては、調整をさせていただくこともありますので、ご協力をお願い致します。


※使用料金は、自治会員と自治会員以外において違います。ご注意ください。



市野谷自治会館建設にあたり
市野谷自治会館建設記念碑

旧流山市市野谷字宮尻650番地(土地面積5,494㎡(換地後3,442㎡)の土地は、当時、33名の共有地として存在していました。(現在の流山市おおたかの森西二丁目地先)

この土地は、徳川時代から明治初年にかけて、各自農民が秣(まぐさ)・肥料・薪炭(しんたん)などを採取するために使用しており、市野谷村落の入会地(いりあいち)として認識されていました。
そこには、動物を供養する石碑が六体設置されていました。
(※入会地:村や部落などの村落共同体で総有した土地)

このような使用用途であることから、各戸の戸主にとって、個人の財産としての意識はなく、相続が発生しても一切手続きもされず残されてきました。

一方、流山市では、昭和60年頃から「つくばエクスプレス」の建設に積極的に取り組み、平成元年6月の「大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法(宅鉄法)」の制定を皮切りに鉄道沿線に各事業者による、土地区画整理事業の施行を進めてきました。

この共有地は、独立行政法人都市再生機構施行による、「流山都市計画事業新市街地地区一体型特定土地区画整理事業」の区域内に取り込まれることになりました。

そこで、平成5年から、この共有地の用途や権利所在を明確にするため、吉田清を中心に、髙城正美他市野谷有志が関係機関に所有者の所在及び相続関係等について調査依頼をし、所有者33名の後継者に協力の是非について確認を行い、大部分の方の了解を得ることができました。

その後、平成13年に、市野谷財産管理運営会が発足され、専門的な知識を有する方の協力を得ながら、年月の経過とともに増え続けた全ての後継者約四百名余りの方々から、この土地を地域のために活用することで、権利を代表者に一任する了解を平成29年7月に取りつけたものであります。
この間、平成5年から24年余りの歳月が経過し、大きな作業となりましたが、やっと解決することができたのです。

市野谷財産管理運営会は、市野谷自治会館建設のために、流山市と協議を行い、平成29年10月に自治会館建設用地として、566㎡を流山市に寄付をしました。その代償としてこの用地を市野谷自治会が流山市から無償で借り受けることとなりました。 さらに、自治会館建設に係る費用は、市野谷財産管理運営会からの寄付によるものであります。

ここに御先祖33名の方々及び子孫の方々、並びにこの問題を解決するにあたり、ご尽力をいただいた関係者の皆様方に深く感謝を申し上げます。 市野谷自治会館を地域コミュニティの場として積極的に活用することにより、明るく活力のあふれた市野谷自治の確立を目指すべく、この開館を記念するものであります。

令和2年3月26日

当時の33名共有者(敬称略、順不同)
山田和平、染谷兵右ヱ門、五十嵐留藏、吉田貞次郎、五十嵐倉五郎、鈴木すま、染谷常藏、小島富蔵、秋谷万蔵、岩佐新次郎、吉田源四郎、宮崎清蔵、岩佐新右ヱ門、岩佐庄藏、伊藤源九郎、小島弥兵ヱ、吉田與平次、吉田源蔵、小島安五郎、鈴木庄右ヱ門、小島兵助、小島源右ヱ門、酒巻長蔵、鈴木光太郎、鈴木周蔵、染谷ギン、浅岡定吉、小島政五郎、 真中鉄三郎、小島慶次郎、酒巻りん、伊藤音次郎、森田平太郎

市野谷財産管理運営会(敬称略、順不同)
(故)吉田清、吉田實、(故)吉田市太郎、(故)髙城正美、宇佐見安弘、酒巻義夫、浅岡隆、吉田稔和、吉田勝実、吉田達弘、五十嵐義男、川名啓二(有識者)、大作公夫(有識者)